笑っていいとも!改革私案

正午から一時間の月金枠の王者として、20数年君臨し続けている「笑っていいとも!」ですが、昨今の視聴率の低迷、以前は他局の帯番組を寄せ付けない無類の強さを誇ったにもかかわらず、急速にその輝きが色褪せてきてるように思えてなりません。
もはや「近いうちにタモリさんが番組を退いた時点で、番組が終わるだろう」というのが、一般的な見方のように思われます。
私は「笑っていいとも!」の看板を下ろし、違う番組をスタートさせたとしても、今以上の数字を叩き出すのは困難では無いか?と、あくまで一視聴者の感覚に過ぎませんが感じております。
「ワイドスクランブル」、「ひるおび」という以前では硬派とされた番組に視聴者の関心が移り、それでも軟派なものを好む視聴者は「ヒルナンデス」に流れている現状で、さらに名前を変えた新番組を打ち出したとて、かつて「笑っていいとも!」に挑戦した他局の帯番組が惨敗し続けたように、そのパイを取り返すのは困難なのではないかと思う次第です。
それならば、「笑っていいとも!」の看板を掛け替えること無く、タモリさんから新しいタレントに司会者の座を禅譲し、番組を存続させたほうが、番組の伝統を継続させ、20数年間築き上げたイメージを損なうこと無く、例えば「サザエさん」や「笑点」のような“偉大なるマンネリズム”と言われるような強力な“ブランド力”を持ったコンテンツとして命脈を保ち続けることが出来ると考えます。

そこで、タモリさんに代わる新しい司会者を決めるべく、視聴者を巻き込んだ企画をスタートさせてみてはどうか?、というご提案をしたいと思います。
題して「いいともチャレンジ!」。
とりあえず、新司会者候補を25人、各事務所(お笑い芸人に限らず)からピックアップし(そこにオーディションで選んだ素人を加えても良し)、各放送回に一人ずつ司会をさせる。
タモリさんにはオブザーバーとして番組に参加していただき、オープニングトーク、途中のコーナー、エンディングには顔を出してもらう。
月~金まで一週で5人。それぞれ視聴者投票をしてもらい、チャンピォンを決め、結果は増刊号で発表する。
これを5週間繰り返し、5人の候補を選出する。(ここにワイルドカード的に特別枠として、タモリさんチョイスでもう一人加えても面白い)
選ばれた司会者候補は、月~金の帯で一週間ずつ司会をしてもらう。(ここでタモリさんの出演は、最初の月曜と、最後の金曜のみとする)
ここから最後の一人に絞る際には、特番を組み、視聴者投票と併せて、タモリさんやフジテレビ制作スタッフ、他大物タレントなどで、審査員団を結成し、視聴者投票の結果を加味しつつ、新司会者を選出する。

今、視聴率と共に失われてるのは「笑っていいとも!」の求心力だと思います。
そこで視聴者を巻き込んだ一大キャンペーンを張ることによって、今一度“お昼の主役”として君臨し続けた歴史を、視聴者に再認識させることは、求心力を復活させるには一番の手だてだと考えます。
30年弱にも渡って続いたタモリ政権が終焉し、新しい為政者の下で再スタートするという歴史絵巻にも通ずるようなダイナミズムを持った、「笑っていいとも!」最後にして最高のテコ入れ。
仮に新司会者で番組がコケてしまったとしても、25人ものタレントが司会に挑戦する中で、新しい適性を発見し、その後の新番組に生かしうる要素も多々発見できるものと思います。
もう既に「笑っていいとも!」の番組としての去就が決まっていて、後継の番組の企画は出来ていると仰るかもしれませんが、今一度、一視聴者の意見として、この私案に目を通していただけたら幸いに思います。

文体ものまね(爆笑問題の日本原論風)
文体ものまね(爆笑問題の日本原論風)
文体ものまね(爆笑問題の日本原論風)
太田「久しぶりに、漫才やろうよ。」

田中「何だよ、いきなり。」

太田「ネタに出来ることがたくさんあるから、やろうよ。」

田中「確かにね。何から話していいか分からないぐらい話題があるけども。」

太田「やっぱ、今は何と言っても放射線が一番怖いよね。」

田中「あ~、怖いね。至るところでセシウムが検出されたりしてるからね。」

太田「稲わらから出てきたとか、お茶から見つかったとかね。どんどんそういう情報が上がってきて、ホント怖いよね。」

田中「今、関係機関がモニタリングしてるから、他にも出てくるだろうけどね。」

太田「どこから見つかるか分かんないもんな。そのうち、小田急線で見かけたとか、西新宿のコンビニでバイトしてたとか、目撃情報も寄せられたりしてね。」

田中「目撃情報って、その辺に潜伏してるのか、セシウムは!」

太田「『こないだ新横浜のうどん屋にいたの、あれ絶対セシウムだよ!』とか掲示板に書き込まれて・・・。」

田中「生活してるのかよ!?セシウムは!」

太田「でも新横浜でうどん食ってたのは、やっぱりストロンチウムなんじゃね?ってレスが付いたりね。」

田中「完全に人間じゃねーかよ!」

太田「擬人化したほうが分かりやすいだろ?」

田中「余計、分かりにくいよ!!」


太田「でも何といっても身近で一番怖いのは、牛乳からセシウムが検出されたことだよな。」

田中「たしかにこういう報道があると、普通に店に出回ってる牛乳でも、セシウム入ってるんじゃないかって、疑心暗鬼になるよね。」

太田「みんな過度に気にしちゃってね。もうそれならいっそのこと、牛乳にセシウムが入ってるの認めて、売っちゃえばいいんだよな。」

田中「誰も買わねーだろ!」

太田「今までの牛乳よりも何と、セシウムが2倍!とか宣伝したら、かえって体にいいんじゃないかと思って、買う人が出てきますよ。」

田中「絶対にいねーよ!!」

太田「あと、セシウム入りのサプリメントなんか作ったら、お年寄りたちは飛びつくだろうな。」

田中「そんな訳ねーだろ!」

太田「上手に宣伝すれば、売れるって。どうせ分かってないんだから。」

田中「年寄り、バカにし過ぎだろ!!」


太田「あと、ホットスポットってのも怖いよな~。」

田中「福島第一原発からだいぶ離れた所なのに、そこだけ放射線の線量が高いポイントがあるってやつね。」

太田「“ホッとスポット”ならいいんだけどね。」

田中「何だよ、ホッとスポットって。」

太田「心のオアシスみたいな、ホッとするとこね。公園の中のちょっとした森とか、閑静な神社仏閣とか。脳からたくさんα線が出るような場所。」

田中「α波だろ!α線は放射線の一種だよ!それじゃホントにホットスポットじゃねーか!」

太田「あと、ミニストップのレジ横のスペースとかね。ソフトクリーム食べながら、出入りする人をぼんやり見てると、あーなんか落ち着くなーみたいな。」

田中「落ち着くんだか、落ち着かないんだか、よく分かんねーよ!」


太田「あと何と言っても、世の中で議論を呼んでるのがTPPだね。」

田中「なんか俄かに報道の量が増えてきたよね。」

太田「賛成派と反対派で真っ二つに割れちゃって、結論出そうにないだろ、ありゃ。」

田中「野田総理はTPP参加に前向きだって聞くけどね。」

太田「でも、色んな分野でアメリカに食い物にされちゃうって、反対があれだけ強いっていうのに、野田総理はそれを振り切って、交渉参加しちゃうのかね。」

田中「まあ相手から不利な条件突きつけられたら、そのとき抜ければいいっていう意見もあるけどね。」

太田「分が悪くなった時は、『聞いてないよ!』って言えば逃げれるつもりなんだろうけどな。」

田中「上島さんに似てるからって、そんなこと言わないだろ(笑)」

太田「でも、急にそんなこと言われたら、ノッチのほうは困るだろうね。」

田中「ノッチじゃねえよ!」

太田「あいつはアドリブきかないんだから。オロオロしちゃって、相方の安田とか奥さんを目で探しちゃったり、しまいにはトチ狂って“Yes, we can!”とか口走ったりね。」

田中「だから、ノッチじゃねえよ!オバマだよ!!」

太田「でも相手がノッチなら、アメリカの策略に飲み込まれる心配はしなくて良さそうだよな。」

田中「最後まで、ノッチで押し切っちゃったな。」


太田「あと、最近話題になってるのは、横浜ベイスターズの身売りな。」

田中「急に話題が変わったね。」

太田「去年もいろんな企業と交渉してまとまらなかったけど、今回はようやくまとまったんだろ?」

田中「難航してたけど、決まったみたいだね。」

太田「それにしても“身売り”ってのは、凄い言葉だよな。」

田中「まあね、切ない言葉ではあるよね。」

太田「だって、自分の身を売る訳だろ?」

田中「まあ、球団にはオーナー企業があって、そこが他に買ってくれそうなところと交渉して、売る訳だけどね。」

太田「そう考えると、アンパンマンはエライよね。だって自分の身を与えてもなお、お金は取らないもんな。」

田中「あれは“身売り”とは言わないだろ。人助けなんだから。」

太田「何たって、オーナーのジャムおじさんがやってる慈善事業だもの。大したもんだよな。」

田中「何に感心してるんだよ。」

太田「で、横浜はどこが買ったの?やっぱり、ジャムおじさんが買ってくれたの?」

田中「何で、ジャムおじさんにそこまで期待するんだよ!買ったのは、あの“モバゲー”で有名なDeNAっていう会社。」

太田「ということは、オーナーがTBSからDNAになったってことね。」

田中「ま、正確にはDeNAね。」

太田「凄い時代だよな。アルファベットの企業が球団をやり取りしてる訳だろ?昔だったら、“大洋漁業”とか“国鉄”とかいかにも堅そうな名前の会社が、球団持ってたんだから。」

田中「たしかに、時代が変わったなっていう気はするね。」

太田「TBS、DNAだろ?そうなったら、やっぱりAKBあたりも黙ってないだろうな。」

田中「AKBが球団買っちゃうのかよ!でも、あれ会社じゃないからね。」

太田「そうは言っても、時代の寵児だからな。」

田中「まあね、秋元さんが金集めて・・・何か、ありそうな気がしてきて怖いな。」

太田「球団のグッズ買うと、投票券が付いててね。選挙で一軍・二軍決めちゃうなんてね。」

田中「野球でそれやっちゃうのかよ!」

太田「スタメンもジャンケンで決めたりね。」

田中「何でもありだな!」

太田「誰がセンター守るかで、大盛り上がりとかね。でも投票で選ばれたセンターが、やたら足が遅くてね。守備範囲が狭くて、長打打たれまくりでね。」

田中「ダメじゃねーかよ!無理矢理野球に当てはめるから、そうなるんだよ!」

太田「でもアルファベット3文字のオーナーが主流になってくると、最終的にはTPPも球団買収に名乗りを上げるんだろうな。」

田中「TPPは協定の名前だよ!それが球団買うって、訳分かんないよ!」

太田「野球界の規制の撤廃を旗印にしてね。」

田中「大義名分だけは、凄いな。」

太田「この球場にフェンスがあるのは、おかしい。非関税障壁だ!撤廃しろ!なんて相手に迫ったりして。」

田中「フェンスが無かったら、まともな野球じゃないだろ!」

太田「その切れのいいスライダーは、打ちづらい。不公正だ!ただちに禁止にしろ!」

田中「もう、いい加減にしろっ!」

数日前、地上波アナログ終了の流れで今までのテレビ(特にバラエティ)の歴史を振り返るという番組を、フジでやっていたんです。

今田耕司と高島彩の司会で「テレビを輝かせた100人」というタイトル。
新聞のテレビ欄で見かけて、久しぶりに進んでテレビを点けたいなと思いました。

で、思ったはいいんですがすっかり忘れてて、「あっ、そういえば!」ってんで途中から観たんですよ。
ちょうど萩本欽一がゲストで、55号からピンまで全盛期の冠番組を振り返ってました。

その時「欽ドン」や「欽どこ」や色んな番組でのエピソードがひとしきり終わった後、何故かひな壇に座ってた“たけし軍団の大番頭”ガダルカナル・タカが、欽ちゃんに「下ネタしかしない我々ですが、大将はうちの師匠の事どう思ってるんですか?」というような質問を投げかけたんですよ。

ガダルカナル・タカは、「下ネタをメインにやる自分達に引け目を感じて、楽屋が近くても欽ちゃんに挨拶にいけなかった」とも言ってました。

それに対して、欽ちゃんの答え。
「浅草のちょうど下の世代なんだよね、だから弟みたいなものだよね」
「好きだよ、伝えておいて」

それを聞き、感極まって人目もはばからず泣いているガダルカナル氏を見て、僕もボロボロ泣いてしまいました。

僕らより下の世代は「また萩本が善人ぶりやがって、気持ち悪い!」とか思うだけかもしれませんが、欽ちゃんとたけし双方の全盛期を知り、その水と油のような笑いの両極が、時代と共に覇権を移していく様を見届けた世代にとって、その欽ちゃんの答えは物凄く重いものとして響いたんですよ。

だってジャイアント馬場が、アントニオ猪木のことを本当は温かく見守ってたみたいな話なんだから!(この例えも一部にしか伝わらないか)

今で言う、とんねるずとダウンタウン以上に絶対に接触させちゃいけないタブー中のタブーだった、欽ちゃんとビートたけしの思わぬつながりと、お互いに対する意識。
よくよく考えれば、二人とも浅草からキャリアをスタートしてたんですよね。


お笑い界の歴史を振り返れば、80年代半ば、毒と知性を持った、たけしとタモリ、またその二人に上手に取り入るさんまという、横澤彪が作り上げたトライアングルが我々を魅了し始め、欽ちゃん・ドリフを過去に追いやった訳ですが、ドリフの笑いが“子供にも理解できる基本的な笑いだけに時代に影響されにくい”という特性も手伝って、“古典”として未だその命脈を保ってるのに対し、欽ちゃんの笑いは、常識の範疇をはみ出さない“生ぬるい”笑いと認識され、現代には全く響かないものとして捨て置かれてる現状がありますよね。

たしかに、下ネタをやらない、人の悪口は言わない笑いなんて、アルコール0のビールやカフェインレスのコーヒーみたいなもんで、「一番面白い部分を削ってどうするんだ」と指摘されるがオチの刺激を欠いた退屈なものにしか映りませんわな。

しかし、戦前・戦中生まれのうちの親(70代)なんかを見てみると、たけし以降の毒のある笑いに眉をひそめるきらいがあって、今でこそ文化人的な立ち位置で落ち着いた発言に終始している北野武を自然に受け入れてはいるものの、軍団を従え暴れまわっていた当時のビートたけしには、明らかに嫌悪感を持っていたし、特に母に至っては「やっぱり欽ちゃんの笑いがいいわねぇ、ほのぼのして」と宣うぐらいで、きっと田舎のお父さんお母さん連中にとっては、その欽ちゃんのぬるさこそが丁度良い湯加減だったのだと今振り返れば思うわけです。(これが団塊世代以降になると、同年代であるたけし、タモリに対しシンパシーを感じていたんじゃないかと想像します)

でも僕においても、欽ちゃん・ドリフ2強時代においては、完全に欽ちゃん派でした。
たしかにドリフに関しては、小児喘息が悪化しそうになるほど笑い転げて、お婆ちゃんに「観るな」と怒られるほどに熱中してたんですが、欽ちゃんには、面白い面白くないの次元を完全に超越した絶対的な安心感があった。

70年代後半から80年代前半にかけての萩本欽一の絶対王者っぷりは、当時の萩本帝政を現在模しているかのような島田紳助など全く比では無く、お笑い界どころか、本当にテレビ界の中心だったんです。

僕の小さい頃は、テレビが何にも増して生活の中心だった。
そんな生活の中の“与党”であるテレビにあって萩本欽一は欽ちゃんファミリーという最大派閥の長。
まさしく、闇将軍・田中角栄ばりに存在感、影響力を誇示してた訳です。

そんな存在感、安心感を前に、僕なんて「いつかテレビのニュース速報なんかでこの人の訃報が流れるときがあるのだろうか?」と想像しては怯え、絶対そんな瞬間来て欲しくない!と念じるほどに、欽ちゃんが心の大事な核になってた。
そういう意味では天皇陛下的な存在ですらあるんですよ、この人は。(実際“テレビ界の天皇”と呼ばれてたようです)

ビートたけしの過度に偽悪的なアプローチというのは、ノンアルコール、カフェインレスなお笑い大帝国を築き上げた浅草のお兄さんである萩本欽一への強烈なアンチテーゼだったという見方に立てば、萩本欽一なくして今日のビートたけしは無いとも言える。

さらに、下ネタ、他人の悪口が無い笑いが天下を取ってたなんて、お笑いの歴史を考えても特殊だったのではないか、と考えれば考えるほど“欽ちゃん”って稀有な存在だと思えてくる。

そんな風に「テレビを輝かせた100人」を観て、「俺、欽ちゃんのこと好きだったんだなぁ。特別な存在だったんだなぁ」なんてしみじみ思ってたら、書店で萩本欽一著「ダメなときほど運はたまる」という本を見つけてしまいました。

本なんて最近は、ブックオフで100円のものを買うぐらいだったのに、840円出して思わず定価で買ってしまいました。

この本を読んで、気づくことがあります。
萩本欽一という人は、物凄く極端な運命論者なんですよ。

あらゆることを「運」という捉え方でもって、どんどん決めていく。
それが、明快かつ常軌を逸しているんです。
つまりは、狂ってるんです。

毒づいた中に教育に裏打ちされた“常識”を垣間見せるビートたけしとは逆に、萩本欽一は優しさと涙のオブラートを剥げば、まさしく“非常識”の塊。

根拠も定かじゃない雲をつかむような「運」という話を、占い師のように世の中を誑し込めようという邪気を持たずして、軽快に語る様は“偽善”というよりは“天然”というほうがフィットするんですね。

セオリーやノウハウを教えてくれる本は、世の中にたくさんありますよね、○○必勝法とか。
でもこの人の「運命論」を聞いてると、物事を隙無く緻密に進めようなんて、つまんないことだと思えてくるんです。
目先の損や苦なんて、気にしなくていいんだ!と思えてくる。

今、僕は辛い状況で“絶望”という体育館に平均台を置いて、下に落ちないように歩いてるっていう精神状態なんですけど、この本読んで気持ちが軽くなりました。

萩本欽一は狂ってます。
だからこそ、偉大なのかもしれません。
さや侍を観た、二回も。
「さや侍」観てきました~。

一回観て、ライムスター宇多丸氏の評論を聴き、さらに東京ポッド許可局の“さや侍”論の回を聴き、確認する意味でもう一度観て、また色んな意見を覗き見した挙句、いま後出し的にその感想を書こうとしています。

普段映画を観ない僕が、収入も途絶えてるってーのに、二回も劇場に足を運ぶなんて、そんなに良い映画なのか!?と思った皆さん!
今から感想を書きますよ~。(何を引っ張っているのか)

まず感想に行く前に、あらすじというか映画の概要を頭に入れていただきたい。

~あらすじ~
伊香藩水位微調役だった野見勘十郎はある出来事がきっかけで脱藩し、賞金首になりながらも娘のたえを連れてあてのない逃避行を続けていた。勘十郎は藩にいた際にある出来事がきっかけで刀を捨て、腰に鞘のみを備えていた。
勘十郎親子は多幸藩の追手によってついに捕われてしまう。多幸藩藩主はたいそう変わり者で、勘十郎に対して奇抜な試練を与えた。それは「三十日の業」というもので、母を亡くした悲しみで笑顔を忘れてしまった若君に対し勘十郎が1日1芸を披露し、その間に笑わせることができたら無罪放免、できなければ切腹というものだった。

予告編も貼っておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=2ixPxoAKh8c

言わずと知れた松本人志の監督作品ですけど、「大日本人」「しんぼる」と過去二本は、まともに評価されなかった感があるのですが、この「さや侍」の予告編を見る限りは、まとまったお話という印象で、今度こそ世間にも受け入れられるかなという期待を思わずしてしまい、その点は松本ファンとして素直に嬉しかった訳であります。


で、感想ですけど、結論から言うと・・・。(だいぶ引っ張ったな)
この映画は「駄作」だと思いました。

基本的に松本映画ってのは、いわゆる映画好きの人が“映画”というフレームを当てがって観た場合、まあ到底及第点は上げられないだろうなという内容なんですよね。100点満点で、40点ぐらいの。

何よりストーリーの構成力に欠くというか、映画一本、約一時間半としてその中で絶えずハラハラドキドキさせたり、感心させたりという間を持たせる工夫が無い。

そして、細かい作りが雑。
今回は“時代劇”ですから、時代考証という要素も必要でしょうが、そこも雑。

ま、僕はほとんど映画って観ないもんだから、映画というジャンルそのものが培ってきたセオリーみたいなものが良く判らないので「そんなもんかな~」って感じで、スルーできるんですけどね。(でもそこが看過できない映画通はいるだろうな~)

じゃ、僕のような“松本信者”と呼べるようなファンが観た場合、どうなのか?
「大日本人」には、物語設定から空気感から松本イズムが溢れ出してました。(でも長時間、映画として向き合うとしんどい)
「しんぼる」も、発想ありきの松っちゃんらしい作品だったようです。(実は観てません←この時点で説得力をだいぶ欠く)

でもこの「さや侍」、松本らしさってのは漂う物悲しさ、グロテスクさを伴う描写ってとこで感じさせましたけど、肝心なシュール味が無いのでありました。

何が松本人志の真骨頂なのか?、というのは様々な見方があるでしょうが、やっぱり信者としてはファンタジスタな松本のシュールさを見たい訳ですよ。

そういう意味で見るべきところの薄さから、ファン視点でも40点・・・。(「大日本人」はファン視点なら65点はあった)

ん~、映画好き視点でも松本ファン視点でも、40点ってイイとこ無しじゃねーかよ!とお思いでしょう!
でも、でもですよ!
一般の人の感想だと、意外と高評価だったりするんですよ、これが!

泣けた!とか、親子とは何か?男とは何か?を考えさせられたとか、松っちゃんの熱いメッセージが伝わってきたとか、まあだいぶ意訳ですけど、そういう感想が散見されました。

予告編を観ていただけたかどうか分かりませんが、もうあれ見ればラストの展開以外は読めます。もうそのまんまです。
そういう意味で、直線的で広がりの無いお話なんですけどね。
でもそのシンプルさが響いた、という人がいるんでしょう。

確かに主人公の野見さん(素人)の一生懸命さ加減が、おかしみと切なさを湛えているとか、松本味が抑制されたことが逆に意外性を生んだとか、評価と言ったら偉そうですが、プラス点と勘定したい部分もある。

でも僕としては、あくまでもこの作品には“駄作”のハンコを押したいです。

ただ、これは語れる映画ではあると思うんです。
この映画をどう観るかを、話すことの喜びがある。

そして、この「さや侍」を、松っちゃんが「こういうのも撮れるよ」的に差し込んできた見せ球と考えれば、やはり次が楽しみになる。

4作目が発表されたら、観ちゃうんだろうな~。
そういう全体の流れの中で、押さえるべき映画だと思います。
オススメです!(最後は宇多さん風に)


~参考資料~
ザ・シネマハスラー「さや侍」(ライムスター宇多丸による批評)
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2011/06/618_1.html

東京ポッド許可局【第185回“さや侍” 論 】
http://www.voiceblog.jp/tokyo-pod/1411641.html

再開しようと思ってはいたが、腰が重くずっと踏ん切りがつかなかった日記。
こんな形で再開するのは不本意だったが、書きたい、いや書かざるを得ない・・・。

お昼休みに何気なく携帯で2ちゃんを見てしまう。
秋の北信越大会で優勝し、センバツを確実にした新潟県の日本文理高校が、その前哨戦とも言える明治神宮野球大会に出場、今日がその試合とあって、気になって2ちゃんの高校野球板を覗いた。
試合はまだ始まっていなかった為、何気なく芸スポ速報+に移動するとすぐ、あるスレッドに目が止まった。
“「鼻エンジン」の村田渚さん自宅で死亡”
鼻エンジンの村田渚・・・、元フォークダンスDE成子坂のツッコミ村田渚である。
“フォークダンスDE成子坂” 一般的にはボキャブラに出ていたコンビぐらいにしか認知されてないと思われるが、お笑い好きや芸人さん達には一目置かれていた存在だったと思う。
かくいう私も、一目も二目も置いていた。
っていうか、古今東西のあらゆるお笑い、ピンもコンビもグループもひっくるめて一番好きなのが“フォークダンスDE成子坂”だった。
“ダウンタウン・松本人志” まさしく演芸に「シュール」という概念を持ち込んだ先駆者、トップランナーだが、彼がその才能を爆発させギラギラしていたピークの頃(90年代後半ぐらいか)、他に誰も並ぶ者のいない孤高の存在であると持て囃されていた時代、僕はその存在に比肩し、あるいは追い越せるポテンシャルを持った若手芸人が三人はいると確信していた。
一人はバカルディ・大竹一樹(現さまぁ〜ず)、そして海砂利水魚・有田哲平(現・くりぃむしちゅ〜)、もう一人は当時フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎である。三人のセンスは飛び抜けていた。
路線が松本氏とかぶるため、彼ほどのポジションにはなれないものの、ネタの質では追い越す日も近いだろうと思っていた。
そしてこの三者を、ツッコミも含めたコンビとしての総合力で比較すると、さらに抜きん出ていると私が思ったのは、この“フォークダンスDE成子坂”だった。
まだ「〇〇かよっ!」という独特のフレーズを完成させる前の三村のツッコミはあまり特徴が無く、シニカル過ぎる大竹の世界をシニカルなまま押しとどめていたし、豊富なボキャブラリーを駆使する上田のツッコミはツッコミ自体でもう一度笑いを生むという力はあるものの、結果として有田のボケの印象を弱めてしまっていた。
しかし、村田渚は違った。桶田のボケにジャストフィットしていた。
彼のツッコミは、浜田雅功から暴力性を排除した感じというか、ライトにした感じというか、まあ一般的には浜ちゃんの亜流と受け取られがちだったが、表情の豊かさやタイミング、テンションの上げ下げ、どれも素晴らしく、本家?浜田よりも巧かったと思う。
しかし、成子坂は99年に惜しまれながらも解散してしまう。
もし続けていたら、かなりのポジションに居たのでは?と見る向きもあるが、自分たちのスタイルにこだわりがあったであろう彼らが、今の安易なあるあるネタばかりが跳梁跋扈するお笑い界で中心を成していたとは考えにくい。
さまぁ〜ずやくりぃむしちゅ〜にしても、三村の「〜かよっ!」だったり、上田のうんちくなんかが大ブレイクのきっかけであることを考えると、必ずしも彼らの本質的な部分にスポットが当たっている訳ではないことが分かる。
村田渚は、成子坂解散後しばらくピンで活動していたが、05年に元坂道コロコロの松丘慎吾(相方の林が強制わいせつ容疑で逮捕され、解散)と「鼻エンジン」というコンビを結成した。
M−1グランプリでも準決勝に進出したり、再び脚光を浴びようという時だっただけに悔やまれる。
村田渚の芸風を昇華させ、映像を使った一人ツッコミ芸でエンタ勢の中で頭一つ飛び出している感のある陣内智則の存在が、彼がきっかけ一つでブレイクできる土壌が十分あったことを物語っている。
それにしても惜しい人を亡くした。というか凄く悲しい。

フォークダンスDE成子坂のコント。彼ら得意のシュール系ではないが、よく出来たネタである。
http://www.youtube.com/watch?v=fuG_qK015xk

鼻エンジンの漫才。ブレイクしそうな力を感じる。
http://www.youtube.com/watch?v=jKfKqF895eA
世間では、経済の話題を分かり易く解説した本が売れているらしい。
カリスマ受験講師・細野真宏の「経済のニュースが良くわかる本」やら、若手公認会計士・山田真哉の「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」やら、ハワイ生まれの日系4世・ロバートキヨサキの「金持ち父さん貧乏父さん」シリーズやら。
“経済の話題は、複雑で分かり難い”と敬遠していた層にも充分にアピールする平易な文章でこれらの本は書かれている。
そういう私も上述の本はほぼ買って読んだし、コンビニに立ち寄ると、経済新聞を買うようにもなった。
ここ数年、簿記の勉強をしていたこともあって、経済についての関心度がアップしていたことも背景にはあるが。
そして自分でも実際に投資をしてみたい!という気持ちが湧いてきているのが、今の現状である。
最近では、20万円以下で買える株は無いかと新聞の株式欄を食い入るように見、PCを開けばネットで銘柄ごとのチャートをチェック、テレビのニュースでは今まで意識していなかった為替や株価の話題も意識して見るようになった。

「うん、なになに、東証一部の売買高が過去最高記録を更新。個人投資家の増加が背景に・・・。」

今、個人投資家は増え続けているそうだ。手数料の値下げやネットによる取引の普及で、今まで縁遠かった層にも株取引は広がってきているらしい。

“長らく続く低金利時代、銀行の普通預金にただ闇雲に預けておくより、投資に回して資産運用したほうが賢明だ。”

そう、みんな考えていることは同じなのである。

事実、株式の代表的指標「日経平均株価」はここ三年ぐらい上昇の流れだし、2001年から日本でも始まったREIT(不動産投資信託)は不動産バブルを感じさせる値動き。
個人マネーはどんどん投資へ向かっているのである。

「うーん、流れに乗り遅れたなー。始めるなら二、三年前に始めるべきだったな。今は知識を蓄えて次の波を待つか?」
「次の波っていつ来るんだよ。あと三年は今の流れが続く思うぞ。どうせ金利が低いんだから、少しぐらい投資回したっていいじゃねーか。」

自分の中で、二つの見方が交錯している。
まるで、長なわとびの前で逡巡する小学生のように今の僕は優柔不断だ。

“にわか投資家に明日はあるのか?”・・・答えは出ていない。

とりあえず“にわか”が取れるまで勉強してみます!
田中「いやあ、だんだん暑くなってきましたけども、今世間で一番熱い話題といえば何と言っても、ロシア人の女子高生デュオ、t.A.T.uの来日騒動ですよね。」

太田「それにしても、すごい騒ぎだよね。s.A.R.sが日本で大暴れする前に、こっちが日本で大暴れみたいなね。」

田中「“s.A.R.s”って、そんな書き方するなよ!それじゃ“t.A.T.u”と伝染病が同列みたいじゃねーかよ!」

太田「えっ!?だって“t.A.T.u”も一種の病気なんでしょ?何か成田空港に制服きた女子高生とかが一杯集まってたし、中には男のくせに制服のスカート履いてる奴なんかいて、『あー、みんなこの人たち感染しちゃったんだなあ』みたいな・・・。」

田中「確かに、流行性のものだろうけど病気ではねーよ!」

太田「でも“t.A.T.u”の方が、“s.A.R.s”よりもたち悪いって話もあるけどね。だって“s.A.R.s”は“t.A.T.u”みたいに、そんなにすっぽかしたりしないもんな。感染すれば、より確実に死に至らしめるもんな。」

田中「やっぱりそっちのほうが、怖えーじゃねーかよ!“s.A.R.s”だったら、すっぽかしてくれたほうがうれしいよ!」

太田「それにしても、あの“ミュージックステーションのすっぽかし事件”は、何が原因だったんだろうね。」

田中「きっと、何か気に食わないことがあったんだろうね。まあ、先日開かれた釈明記者会見では、『私たちのために作られた番組だったら、喜んで歌ったのに』って発言したらしいけどね。」

太田「そんな『私たちのために作られた番組だったら・・・』って、18の小娘が生意気なこというんじゃねーよ!って思うよな。だいたい日本のテレビでゴールデンの冠のついた番組作れるなんて、相当の大物じゃなきゃ無理だもんな。」

田中「まあ、『自分たちは、そのぐらいの大物だ!』っていう自負があるんだろうね。でも『まだそこまでのスターじゃないのに勘違いしてる』って声も多いよね。」

太田「きっと、そういう大物になりたいっていう欲が強いんだろうな。でもこれは俺の憶測なんだけど、本当はt.A.T.uの二人はひそかに日本のテレビに冠番組もつっていうのが夢だったんじゃないかって思うんだけどな。」

田中「でもロシアの女子高生が、普通そんな夢持たねえだろ。」

太田「実は自分達で寝ずに番組名まで考えてきたのに、プロデューサーに却下されて、それで怒って帰っちゃった・・・みたいなね。」

田中「番組名って・・・そんなことまで考えてるのかよ。」

太田「たぶん二人で、ああでもないこうでもないとかいって候補絞ってたんだと思うよ。」

田中「何だよ、候補って。」

太田「“t.A.T.uのドーンとやってみよう!”とかね。」

田中「欽ちゃんじゃねーかよ!いまや日本の女子高生だって知らねーよ!」

太田「いや、“バカうけ、ややうけ、ドッチラケ”とか言いたかったんだって。視聴者の書いたハガキ読んだあとに。」

田中「そんなこと考えてるロシアの女子高生いねーよ!」

太田「あと“t.A.T.u大爆笑’03”とかね。」

田中「今度はドリフかよ!」

太田「いや、ああいうコントあり歌ありっていう番組がやりたかったんだって。」

田中「歌はまだ解るけど、何でコントなんだよ!」

太田「俺はあのエンディングのやる気の無い踊りなんて、t.A.T.uにぴったりだと思うけどな・・・。あと歌のコーナーでは、由紀さおりが必ず歌ってたりな。」

田中「由紀さおりかよ!大体t.A.T.uはその場合、何を目指してるんだよ!」

太田「でも、一番の候補は何と言っても“t.A.T.uのセイ・ヤング”だったろうな。」

田中「そりゃ、ラジオじゃねーか!」

太田「いや、ああいうリスナーとのつながりを大事にするような番組がやりたかったんだって。」

田中「世界の歌姫が、急にそんなに身近になっちゃうのかよ!」

太田「時には人生相談なんかしてみたり、あるいは調子に乗って下ネタに走ったり・・・。これで日本の女子高生の心もガッチリ掴めるわけだ。」

田中「今までさんざんツッパってきたのに、いきなりそれかよ!一体どういう戦略なんだよ!」

太田「まあ今までのは、全部俺の推測なんだけどね。」

田中「推測の域を出てるよ。ほとんど妄想じゃねーか・・・。まあ、今回の騒動でt.A.T.uは大きく株下げたわけだけど、代役を買って出たミッシェル・ガン・エレファントは大きく株を上げたよね。」

太田「ああ“t.M.G.e”ね。」

田中「だからそういう書き方やめろよ!」

太田「確かにあの時、俺はたまたま観てたんだけどボーカルのチバユウスケの鬼気迫るオーラみたいなのが伝わってきたものな。」

田中「んー、すごく反響があったらしいね。それを観て、一発で彼らのファンになった人ってのもいるらしいからね。」

太田「目がチバしってたもんな。」

田中「下らねーよ!」

太田「でも、あれを観てファンになったって奴いっぱいいるだろうな。t.A.T.uもあれ観て『日本にはすごいバンドがいる』って言ったらしいからね。」

田中「そんな訳ねーだろ!t.A.T.uは観てねーんだよ!すっぽかした張本人なんだから!」

太田「でも、もし今“t.A.T.uのセイ・ヤング”が始まったとしたら、彼女たちはロシア語で言うと思うけどね。」

田中「何て言うんだよ?」

太田「『今日の一曲目はミッシェル・ガン・エレファントで“ミッドナイト・クラクション・ベイベー”です』ってね。」

田中「言う訳ねーだろ!いい加減にしろ!」
僕は、日本の職業カースト(そんなものあるのか?)中、最下層に位置するだろう交通誘導員のアルバイトを現在の生業にしている。

その仕事では、自らの車を現場間の移動時にも使用しているのだが、今日その車に大きな災難が降りかかった。

うちの会社は、主に電話工事に伴う交通誘導の仕事が多い。

今日も電話工事の業者さんが運転する高所作業車(通称“バケット”という。人によっては“バケツ”と呼ぶ人もあり)にくっついてあっちこっちと車で移動していた。

午前10時過ぎだったか、そのバケットが三ヵ所目の現場(電信柱)へと到着した時、僕は自分の車をどこへ止めようかと周囲を見渡した。

そして「ここがいいな」と何気なく、反射板のついた棒状の柵で仕切られた歩道(周りは田んぼばっかだから、歩行者なんてほとんどいないんだけどね)の中に車を押し込めた。

その時である・・・“ギ、ギ、ギ、ギ、ギ”。

僕の左後方から、不幸の訪れを知らせるような、あるいはこの車の悲鳴にも聴こえるような、鈍い摩擦音が耳に飛び込んでくるではないか!

「あっ!やっちゃったか。」

その鈍い摩擦音から惨憺たる状況は十分察しがついたものの、僕は動揺を抑えるように“意外と大したことなかったりして”などと自らに言い聞かせながら、その生々しい傷跡を確認しに行った。

そして、それをまじまじと見つめた。

・・・想像どうりだった・・・勿論悪いほうの(泣)

さらに、打ちひしがれる間も無く、あることに気づいてしまう。

この状態で車を動かすと、さらに傷が入ってしまうということに・・・。

前へ動かしても、後ろへ動かしても、ハンドルを切っても、車体がその棒状の柵に接してる以上、逃げ道は無いのだ。

しかし、退路を塞がれると人間はふっきれるものなのだろうか。さして考えもせず車に乗り込み、前へと車体を進めた。

“ギ、ギ、ギ、ギ、ギ”。

再び繰り返された鈍い音の悲鳴と引き換えに、わが愛車はこの状況からの脱出に成功する。

ちょうどその頃、僕よりもいくらか若い今日の作業班長さんがバケットを降り、こちらに向かってきていた。

その若い班長は、深くそして長く刻み込まれた傷を遠目で確認すると、「(会社の車じゃなくて)これ自分の車っすか?」と一言訊いて来た。

「マイカーです。」と答えると、僕の自嘲気味のオールドファッションな表現に全てを察したのか、その若い班長さんは“何と声をかけてみようも無い”というニュアンスの表情を残しつつ、その場を去った。

その後、意外に動揺することも無く淡々とお昼まで仕事をこなした僕は(ただ実感が湧かなかっただけなんだけど)、お昼休みにこの車を購入したお店に電話をかけ、修理の見積もりの依頼をする。

依然として実感が湧かないまま、お弁当を食べ続け、ふと飲み物が水筒のお茶だけでは足りないことに気づき、自動販売機でダイドーのミウ(赤)を購入。

すると、いつも“ハズレ”ばかり表示し続けるダイドードリンコのそれが“アタリ”の表示。

別にもう一本など欲しくも無いのだが、今度はミウ(青)のボタンを押す。

二本のミウ(赤と青、計1リットル)を手に、傷ついた手負いの“マイカー”に乗り込んだ僕は、来たるべき修理代に思いを馳せた。

仕事が早く片付くと、いそいそとそのお店に向かい、さっそくその傷の具合を見てもらうことに・・・。

そして、それを見た担当の人の第一声は「うわー、結構いきましたねー」だった。

イヤな予感をひしひしと感じた僕に、さらにその人の言葉は続く。

「これは、完全に直すとなると10万は掛かりますよー。」

じゅ、じゅうまん・・・。

心なしか気温が下がった気がした。気のせいだと思うけど・・・。

「えー、何とか安くなりませんか・・・?僕、車についてのこだわり、ほとんど無いんです。みっともない状態で無ければ、それでいいんですけど・・・。」

僕の言葉はその凍りついた状況を打破するには、あまりにも非力だった。

「んー、塗装がねー。これだけ広範囲な傷だと結構掛かっちゃいますからねー。・・・んー、7万ぐらいなら完璧とは言わなくても、かなりキレイにはなりますけどねー・・・。」

7万・・・、それでも依然として空気は重いままである。

なぜなら、僕の考えた修理代は5万前後だったからだ。

“車に傷が入ると、5万は掛かる”これが自分の中の感覚だった。

“5万は掛かる”つまり、最低5万円という話だ。

最低ラインと位置付けるには無理がある傷だと言うのに、何か祈りにも似た思いで自分の中では5万円と設定していたのだ。

「7万ですかぁ・・・。ホントはそろそろCDとかMDを付けようかと思ってたんですけどねぇ・・・。飛んじゃったなこれで・・・。」

そう、僕の“マイカー”にはCDやMDのプレーヤーはおろか、カセットデッキすら付いていないのだ!

「そうだねー。7万あればねぇ、CDもMDもいいのが付けられるもんねー・・・。」

お店の人の一言は、僕のくやしい思いを増幅させるには十分だった。

しかし、僕は何を血迷ったのか「CDプレーヤー
付けるとしたらどれぐらいになりますか?」と口走ってしまう。

「そうですねー。CDプレーヤーだけだと、チェンジャー無しで3万5千円ぐらいで付けられますけどねー。」

その後、車の傷を腕組みしたまま見詰めながら、二人はしばし沈黙する。

そして、その沈黙を破って僕が発言した。

「じゃあ、この傷のほうは7万円でお願いして、さらにCDプレーヤーもお願いします。」

何か、とびっきりの明るさだった。無理をしてる訳でもなく自然に。

何なんだろう?ここまでくるとかえって気が大きくなるのだろうか?自分の中でも針が振り切れてるような感じがしたし・・・。

「えー、傷の修理とCDプレーヤー、消費税を入れて11万円以内に収まるようにしますね。」

お店の人の言葉をもって、今回の一件は一応の決着をみた。

しかし、まだ実感が湧かない・・・。自分のしでかしたことをまだ受け止めきれてないのだと思う。

そんなこんなで家へ帰り、パソコンへ向かっていると図らずも飲み干してしまったミウ(お昼に全部飲んだ訳じゃないよ)のペットボトルが2本、床に転がっているのを発見する。

ちょうど蓋に何やら懸賞の応募シールが貼ってあったので、ネットを使って応募して見ることに・・・。

すると何やら、時計(当然安物)がその場で当たってしまう。

自販機でジュースが当たり、そのシールでさらに懸賞に当選。

一方、不運な出来事(不注意ともいうが)により車のボディーを傷つけ、高額な修理代がのしかかる。

まさに今日は、幸運の波と不運の波が期を同じくして現れたという一日だったわけだ。

・・・しかし、スケールに違いがあり過ぎやしないか?
太田「いやあ、いよいよ六月だね。一月、二月の頃は本当に六月なんか来るのかなと思ってたけど、やっぱり来ちゃったね。」

田中「当たり前だろ!」

太田「でも、本当にあと半年で十二月が来るのか、実はまだちょっと心配なんだけどね。」

田中「来るよ絶対!そんなこと、心配する奴いねえよ!」

太田「でも、嫌だよね。日本の六月は、じめじめして。」

田中「まあ梅雨の時期だから、雨が降る日がどうしても多いよね。」

太田「じめじめ、じめじめして・・・、本当に頭にくるよね。」

田中「確かに、梅雨っていうのはうっとうしいけどね。」

太田「じめじめ、うじうじ・・・。フラれたぐらいで、いつまでも落ちこんでんじゃねえよ!って思うよな。」

田中「何の話なんだよ。」

太田「サバンナ気候を見習えよ!って言いたくなるね。彼は本当にカラッとしてる。降られても、すぐ次に気持ちを切り替えられるしね。」

田中「降られるって、雨の話なのかよ!」

太田「でも彼の場合、性格がちょっとドライ過ぎて、僕は友達にはなりたくないけどね。」

田中「だからさっきから、言ってる意味が分かんな過ぎるよ!!」

太田「それから六月って言えば、やっぱり“ジューンブライド”だね。」

田中「まあ“六月の花嫁”は幸せになるって、よく言うしね。」

太田「でも本当それにあやかろうとして、六月に式挙げるカップルって多いんだよね。」

田中「まあ日本人は、何かにあやかるの好きだからね。」

太田「たぶん、中には六月に合わせて急いで結婚しちゃう人もいるんだろうけどな。」

田中「中には、いるだろうね。」

太田「大体そういう場合、式直前になって女の人が“マリッジブルー”になったりしてね。」

田中「女性は、結婚間近になると『本当にこの人でいいのかしら?』って、急に不安になるって、よく言うからね。」

太田「そう。『やっぱり、結婚するのやめようかな』とか、ふとつぶやいちゃったりね。結構ありそうだよね。でも“ブルー”ぐらいなら、まだマシだよ。他の色だったら、もっと大変なことになってるよ、きっと。」

田中「何だよ、他の色って。」

太田「例えば“マリッジレッド”とかね。」

田中「マリッジレッド・・・?どうなっちゃうの?」

太田「式の日取りが決まって、いよいよって頃になると、女のほうが急に怒りっぽくなったりしてね。」

田中「うーん。あるかもしれないね、そんなことも。」

太田「新郎が披露宴の引き出物なんか、勝手に決めようものなら、烈火のごとく怒っちゃったりね。」

田中「そりゃ、怒るよ。」

太田「『あんた、何で勝手に決めんのよ!』とか怒鳴りつけて、旦那の携帯電話叩き壊したりしてね。」

田中「恐過ぎるよ!そこまで怒っちゃうのかよ!」

太田「あと、最悪なのは“マリッジピンク”ね。」

田中「何だよ、今度は。」

太田「結婚前の思い出作りにとかいって、いろんな男と浮気しまくったりしてね。」

田中「それ本当、最悪だな。」

太田「また、それが結婚後にバレて、離婚するしないで大もめになったりね。」

田中「そりゃ、もめるだろ。」

太田「たち悪い奴になると、『別にいいじゃん、結婚前のことなんだし。』とか言って、完全に開き直ったり。」

田中「たち悪すぎだよ!」

太田「あと、結構困っちゃうのは“マリッジグリーン”な。」

田中「今度はグリーンかよ。」

太田「結婚が決まった途端に、『子供達の将来のために、かけがえの無い自然を守っていかなきゃいけない』とかいって、突然環境問題に目覚めたりね。」

田中「何でそこで目覚めちゃうんだよ。」

太田「『都会の生活はもうイヤ』とかいって、勝手に田舎に家買っちゃったりして。」

田中「家まで買っちゃうのかよ!」

太田「そこで突然農業なんか始めちゃって、旦那に『お前は高木美保か!』とかツッコまれたりしてね。」

田中「旦那もそんなツッコミ入れる前に、止めろよ!」

太田「あと“マリッジイエロー”も大変だよね。」

田中「何だよ、イエローっつーのは。」

太田「結婚が決まった後、“実は奥さんが作れる料理がカレーだけだった”ってことが発覚しちゃってね。」

田中「別に、料理なんか結婚してから覚えればいいだろ。」

太田「でも結婚した後、やっぱり夕食は毎日のようにカレーだったりしてな。旦那も会社の同僚に“昨日もカレーだったよ”って思わず愚痴こぼしたりな。」

田中「別に手料理にこだわらなくても、普通にお惣菜買ってくればいいじゃねーか。」

太田「しまいには、旦那の会社でのあだ名が“黄レンジャー”になってたりね。」

田中「それで、イエローかよ!くだらなすぎるよ!」

太田「でも、これでマリッジブルーから始まって、レッド、ピンク、グリーン、イエロー、五色揃っちゃったね。何か本当に“ゴレンジャー”みたいになってきたな。」

田中「何で結婚にまつわる問題が、戦隊ヒーローになっちゃうんだよ。」

太田「でも“寿戦隊マリッジレンジャー”とか本当にありそうな気もするよね。」

田中「無いよ、そんなもん!」

太田「それにしても、一体どういう敵と戦うのかちょっと気になるよね。」

田中「どうでもいいよ、そんなの!」

太田「何だろう“少子化”とかかな?」

田中「適当なこと言うなよ!」

太田「でも、レッドとかブルーとか単純な色なら、まだマシなのかもしれないね。」

田中「どういうことだよ?」

太田「複雑な色になると、多分ますますややこしくなっちゃうだろうね。」

田中「何だよ?複雑な色って。」

太田「例えば“マリッジシルバーピンク”とかね。」

田中「シルバーピンク?」

太田「結婚前に浮気しちゃうんだけど、相手が全部50歳以上のオヤジっていうね。」

田中「全員50歳以上なのかよ、イヤだなそれ。」

太田「浮気した奥さんのほうも、『あたし、実はオジサンが好きなの!』とか旦那の前で思わず告白しちゃったりね。」

田中「旦那もそんなこと言われても、どうしたらいいのか分かんねえよ。」

太田「でも、旦那のほうも『そうか、ごめん。あと20年待ってくれ、そしたら俺も50以上のオヤジになれるから』とか言って、奥さんを慰めたりしてな。」

田中「そんなこと言う訳ねーだろ!」

太田「意外と丸く収まったりね。」

田中「何でだよ!」

太田「あと複雑な色でいうと、“マリッジオフホワイト”ね。」

田中「今度はオフホワイトか。」

太田「結婚が決まって急に安心しちゃったのか、仕事以外では何にもしないでひたすらボーッとしてたりな。」

田中「うーん、そういう人もいるかもしれないね。」

太田「本当に何にもしなくなっちゃって、休みの日に一日中家でパジャマでだらだら過ごしたりしてね。」

田中「別にいいじゃねーかよ、それぐらい。」

太田「あんまりボーッとしちゃって、家族が名前呼んでもリアクションがしなくなったりしてな。」

田中「それは、本当にボーッとし過ぎだよ。」

太田「よくよく調べてみたら、自分が誰なのかも忘れちゃってたりして。」

田中「何で記憶喪失なっちゃうんだよ!」

太田「やっぱり、結婚が決まってホッとしたんだろうね。」

田中「そんな理由で記憶無くす奴いるかよ!」

太田「あと“マリッジモスグリーン”も結構大変だよね。」

田中「モスグリーン?」

太田「えーとね、モスグリーンはね・・・。えーと、何だっけな・・・えーと?」

田中「どうしたんだよ?」

太田「そんなこと言ってたら、俺が記憶喪失になってきちゃった。」

田中「何で、お前が記憶喪失なっちゃうんだよ!」

太田「久々に漫才やったら、安心しちゃったね。」

田中「もういいよ、いい加減にしろ!」
ちょっと暑くなってきたので、冷やし中華始めてみました。

いかがでしょう?
前回の続き


第5位
オフ・コース「僕の贈りもの」

引きこもってた時代(後期)にどっぷりと浸かっていた。兄が持っていた膨大なフォークやニューミュージックのテープの中から引っ張り出して聴いていた。
オフ・コースというと、「さよなら」とかをすぐ連想しそうだが、この「僕の贈りもの」など初期の時代(メンバーが小田和正と鈴木康博の二人だけ)のものは、すごく素朴な感じがして好きだ。
洋楽ポップスの影響が素直に表れている音に、フォークソング的な歌詞(メッセージ性が強くないほうのね)。特にカーペンターズを彷彿とさせるコーラスにはしてやられた。
さらにオフ・コース=小田和正という世間一般の印象を覆すような鈴木康博の存在(歌、作詞作曲能力など)。
当時の僕の心境に見事にシンクロした一枚だと思う。


第4位
高野寛「CUE」

CDはのちにブックオフで買ったが、それまでは中三の時にレンタル屋で借りてダビングしたテープを擦り切れるほど聴いた、十年以上も・・・。
あのトッド・ラングレンのプロデュース。ポップ且つマニアックな感じ。時にはひねくれたメロディーの曲もあり、後々XTCやトッドなどのいわゆる“ひねくれポップ”にはまる基礎を作ったと思う。
このアルバムに収録されている「虹の都へ」はシングルとしてかなりヒットしたと思うが、この曲をCMで初めて聴いた時、「なんちゅうメロディーやねん。」と思った(笑)
名曲だと思う。


第3位
ピチカート・ファイヴ「ベリッシマ」

死ぬほど聴いた、マジで・・・。上記の高野寛「CUE」と並んで最も聴きこんだアルバムだと思う。
無茶苦茶濃いラブソングながら「カップルズ」同様、具体的な恋愛の歌というより、抽象的で表面的な感じ。
確かCDの帯に“仏作って、魂入れず”とかいうコピーが書いてあったと思うが、まさしくそんな言葉がしっくりくる。
自分の恋愛体験をウダウダ歌うだけの、ニューミュージック系の歌手が闊歩していたこの時代(今もそうか?)、洋楽や映画の知識が豊富な(つまりはオタクな)小西康陽が作った洗練された唄の数々はすごく新鮮で、オタク→オシャレという今までなかった方向性を提示して見せ、僕に衝撃を与えた。
本来、モテなかったであろう映画&洋楽オタク、小西氏のある種の怨念ともいうべき思いが、そんな状況を嘆くような歌ではなく(そういうのもあるけどね、アルバム「女王陛下のピチカート・ファイヴ」12曲目「バナナの皮」参照)、過剰に洗練された歌やデザインとなって噴出するというアンビバレンツ。
僕は小西氏には音楽的才能はほとんど感じないけれど(高浪、鴨宮、田島のほうが才能あると思う)、なんかそういうオタクの意地、気迫みたいなものが周りに彼を天才と言わしめ、神がかり的なアイデアの数々を生み出していったのだと思う。
それを証拠に、商業的にも成功しその意地や気迫も衰えたであろうここ数年の小西氏の作る曲は、ほぼどれを聞いても同じという金太郎飴状態になってしまった。
このアルバムは、ピチカートがまだ一部からしか評価されてない頃のもので、当時の小西氏の才気を存分に感じられる一枚だと思う。
さらに小西氏のみならず、田島貴男のファルセットの美しいヴォーカル、高浪敬太郎の非凡なメロディーセンスも十分堪能できる。


第2位
プラスチックス「ウェルカム・プラスチックス」

これは、東京で偶然見つけて買った。
それまで“プラスチックス”というのは名前は、ピチカートが影響を受けた云々と何かで知ってはいたが曲は聴いたことなかった。
家に帰って聴いてみると、ピコピコした音、カタコトの英語のような歌詞、テキトーにやってる感じがアルバム全編に渡って貫かれていて、新鮮且つ懐かしい印象を受けた。
かつて、まだロック=不良という図式が世間にまかり通っていた時代に、ポップでシニカルなパフォーマンスを繰り広げ、“ロック”に違和感を持つ層を取り込んでいったプラスチックス。
このCDを買った時は、日本でちょうどラウド、ハードコア勢が台頭していた時期だったが、ストレートでうるさいロックが若者達の間で流行し、それを横目に「何がいいんだろう?」と首を傾げていた僕にとって、その対極に位置し“ストレートなロックに、アンチなロック”という姿勢を明解に表現しうるプラスチックスの存在は、“欲していた音”だったし、“一つだけ見つからなかったパズルのピース”だった。
と、僕がそんな感慨を持っていると、シーンにはポリシックス、スプージーズ、モトコンポなどネオ・ネオ・ニューウェーブと呼ばれるニューウェーブ再評価組が現れ、「やっぱ、同じこと考えてた人がいるんだなあ。」と感じさせた。


第1位
XTC「イングリッシュ・セツルメント」

これは長野で買った。NTTの懸賞で“長野オリンピック観戦チケット”(女子アイスホッケー、そんなん誰が見るねん!)が当たってしまい、一人で長野まで乗り込んだことがあったのだが、そのとき長野駅の駅ビル内のCDショップでこれを購入した。
店内でCDを物色する高校生カップルを羨ましさ半分「けっ!」と横目で見つつも、XTCの最高傑作と帯に書かれたこのアルバムを発見して、僕は満足だった。
前述のオフ・コース同様、僕の引きこもり時代末期にアパートの部屋(ちょうどわが家がリフォーム工事する都合で、近所にアパートを借りていて、僕はそこで一人寝起きしていた)で毎日のように聴いていた。
中三ぐらいから本格的に音楽を聴き始めて以来、自分にとっての気持ち良い音楽とは何かを常に考えてきたつもりだが、出た結論としては“自分の予想を裏切るような意外性のあるメロディーやコード進行”が気持ち良いということだった。
その魅力を他人に紹介して見せるとき、XTCのこのアルバムが最もふさわしいと思える。
ポップでありながら屈折していて、言葉の意味が分からなくても聴くことができる。
一聴にしてその魅力を感じられるし、聴き込んでいってもまた味わいが深くなる。
特に3曲目の「センシス・ワーキング・オーヴァータイム」と9曲目の「レイジャー」の二曲は、僕の好きな“ひねくれポップ”の魅力を最もコンパクトに表現していると思う。

・・・という訳で、いかがだったでしょうか?「私が無人島へ持っていきたいCDベスト10」・・・違うか。
個人的な趣味を延々と語ってしまいましたが、皆さんすでにウンザリといったところでしょうか?(笑)
これからも暇があったら、いろんなランキングを並べてみたいと思います。
いやー、久しぶりである。

もう一つのほうでやってる二時間ドラマも、煮詰まってしまってほとんど更新してない。

こっちも何となく書きたいことが無いというか、面倒というか、自分自身でも困ったことである。

「さて、どうしよう?」と考え、思いついたのがこれ。「私の好きなアルバムCDベスト10!」

ああ・・・、ベタだ、ベタ過ぎる。

しかし“困った時のランキングもの”というのは、テレビ局もよく使う手である。

という訳で、自分の趣味を他人に押し付けるべく、スタートして見よう。


第10位
マリーナ・ショウ「スウィート・ビギニングス」

久しぶりに、いや初めてかもしれないが店で注文して買った一枚。
かつてマンデイ満ちるが、自らのFMの番組で紹介し大絶賛していたが、その番組をたまたまテープに録音していて、それを繰り返し聞くうちに、はまってしまった。
これは僕の個人的な感覚だと思うが、マリーナ・ショウを聴くと“小さい時に見た大都会の夜”を思い出す。
音楽的にはジャズとソウルの中間を行く感じで、とても聴きやすいし耳に馴染む。
最近の若者が聴くコンテンポラリーなR&Bとはかなり音楽性が違うが、今現在活躍しているミュージシャンの中にも影響された人がかなりいると思う。個人的には、“ドリカムの吉田美和なんかは、絶対マリーナの影響受けてるに違いない”と踏んでいる。


第9位
キリンジ「ペイパードライバーズミュージック」

一度定価で買っておきながら、何を思ったかブックオフに売ってしまい、それでもやっぱり忘れられなくて、もう一度定価で購入したという僕にとっては曰くつきの一枚。
眼鏡をかけ、知的でマニアックな個性が一目瞭然な兄、堀込高樹と、兄よりは幾分見た目がさわやかで、若干ポップな曲を書くボーカルの弟、堀込泰行の兄弟ユニット、キリンジのファーストアルバム。
たまたま買った音楽雑誌にインタビューが載っていて、それを読んだだけで“絶対良いに違いない”と、頭の中のCD購入リストに即ランクインするほど、僕の好みそうな“知的でマニアックな匂い”をプンプンさせていたキリンジ。
しかし買って聴いてみると、僕が期待していたXTC的、イギリス的なひねくれ方とは違う、さわやか且つエロティック且つひねくれ方も微妙という、掴み所のない感じだった。
あまりにも期待が大きすぎたのか、どちらかというと好きな音楽にもかかわらず、後に整理対象に入ってしまう。
しかし、人とは面白いもので一度別れてしまうと、逆にその良さがフラッシュバックのように蘇ってしまうものなのだ。
頭の中で何度もリフレインするうちに、“またいつかきっかけがあれば買おう”と思うようになった。
一回衝動的にレンタルで一週間借り、ダビングせずに“やはり買おう”と気持ちを固め、再び定価でCDを購入。それからしばらくは至福の時を過ごした。
知的でエロい感じの詩に、さわやかなメロディー、巧妙なアレンジ、何と言うかじわじわと効くボディーブローのような音楽だと思う。


第8位
椎名林檎「無罪モラトリアム」

友人の税務署職員B氏(ニックネーム)の車の中で初めて聴いた。
たしか男四人で喜多方に行く道中だったかで、繰り返し聴いたと記憶している。
その後もしばらく頭のなかに残ってしまい、脳内で繰り返し再生していた。
“二十歳そこそこの小娘が作る音楽に、ここまで心動かされるとは”と自分でも思ったが、その才能に嫉妬を憶えつつ、CDショップで購入。
僕にとっては、椎名林檎はルックスもかなりタイプな上に、コスプレや歌詞の端々でエロスを振りまかれ、なおかつ才気まで感じるという特異な存在で(まあ、ブレーンがいてイメージ戦略とかもしてるんだろうけど)、何と言うかただ“女として好き”というよりももっと複雑な感情を抱いてしまう(笑)(「君になりたい」byピチカートファイヴ アルバム「女性上位時代」参照)


第7位
ムーンライダーズ「マニア・マニエラ」

“はっぴいえんど”と並び日本語ロックの先駆けとして知られる“はちみつぱい”を母体にして・・・、などと紹介されるムーンライダーズ。このアルバムはニューウェーブ全盛の82年頃の作品。
リスナーたちが従来の歌謡曲か、それともニューミュージックかという選択をしていたこの時代、その枠のさらに外に存在していたムーンライダーズ、その独自性を最も象徴するのがこのアルバム。“先へ行き過ぎている”という理由で、発売が一回中止になったというエピソードからもそれが窺える。
僕はリアルタイムで経験したわけではないが、ニューウェーブ全盛の当時は、新しいものを作ってやろうという気迫のようなものが満ち満ちてたような気がする。
いつだったか、有頂天というバンドのボーカル、ケラ(現ケラリーノ・サンドロビッチ、atr似)の発言として小耳にはさんだのだが、“あの頃(ニューウェーブ全盛期)作られたものが一番面白かった”らしい。
何か全共闘世代(団塊の世代)の人間が、学園紛争の時代を“あの頃は良かった”と振り返ってる感じだが、リアルタイムで知らない僕(子供の時に無意識に聴いてたかもしれないけど)にとっても、まさしくそう思えるのだ。
そして、そういう“新しいものを作ってやろうという気迫”をヒシヒシ感じるのが、この作品である。


第6位
ピチカート・ファイヴ「カップルズ」

ピチカート・ファイヴのファースト・フルアルバムであり、すでに一つの到達点。
当時のメンバーはボーカルの佐々木麻美子(野宮真貴より数段美人、「カップルズ」アルバムジャケット参照)に、男性のソングライターが三人(小西康陽、高浪敬太郎、鴨宮諒)という構成。
詩は全編、小西康陽で全曲ラブソングなのだが肉体的な感じが希薄で、作り物っぽい世界。
音はバート・バカラックの影響をもろに受けたと思われる(買った当時は分かんなかったけどね)。
最初は、何かなよなよした詩の世界があまり好きではなかったけれど、聴き込むうちにその複雑な曲の構成に“ただならぬ何か”を感じた。
特に(聴いたことない人、ゴメンナサイ)8曲目の「おかしな恋人・その他の恋人」の不安感を表現したようなストリングスの響きは、今までのポップスでは聴いたことのない印象を僕に与えてくれた。
やはり最初のフルアルバムだけに、ピチカート・ファイヴそのものに貫かれる、オシャレですました感じ・・・というか洗練されすぎちゃって、普通のミーハ−なリスナーを置いてきぼりにするような感じを、最も整った体裁で味わえるのはこのアルバムではないかと思う。

つづく。

ミルコVSサップ

2003年3月30日
『ミルコ・クロコップVSボブ・サップ』

一方、K−1、総合問わずに無敗街道を驀進、そのポテンシャルの高さを満天下に示し、常に我々を恐怖のどん底へと誘い続ける“プロレス界、総合界の天敵”ミルコ・クロコップ。

対するは、ホーストを二度も退け、あのノゲイラをも追い詰めるなどK−1、総合、そしてプロレス、更には芸能界までをも席巻する21世紀型格闘スター“戦うタマちゃん”ことボブ・サップ。

きっとこのカードが、今一番K−1で話題を呼ぶあろうことは間違い無い。そして今日、この試合と遂に遭遇してしまった。

この試合を放送したフジテレビも、夜10時の放送開始から、このカードの話題を引っ張れるだけ引っ張っていた。

創設者、石井和義氏の脱税問題で危機が囁かれる現在のK−1にとって、これ以上のカードは無いことは明白である。フジも必死だったに違いない。

僕は、世間(っつっても、僕の周りね)の盛り上がりようやフジテレビジョンの必死さをよそに、さほどの期待感も無く、この日を迎えてしまった。

そして、テレビの前に正座することもせずに、ベッドの中から・・・そう、まるで病院で入院患者が暇つぶしがてらにスポーツ中継を観るノリで、その録画中継を観始めた。

他の試合も結構面白かった。番狂わせが無かったのは面白みに欠けたが、内容は素晴らしかったと思う。

そして、さんざん煽った例のカード。入場が始まり、実況するアナウンサーの口上が映像に被さって、何ともいえない緊張感が伝わってきたが、何かこの“世間様にすっかり気に入られた人気者”ボブ・サップが、テレビ出演等で忙しく、ろくすっぽ練習もせずにリングに上がってる気がして、ちょっとした茶番を見せられてるような気持ちになった。

ガチンコの舞台であるはずのK−1、つまり苦いけど良く効く錠剤であるK−1が、ショーアップされた茶番味の糖衣錠となって新発売!な錯覚をも覚えさせるボブ・サップの登場だった。

つまり、リアルファイトのK−1や総合、ファンタジーファイトのプロレスや芸能界?の垣根を軽々と飛び越し、ボーダーレス状態を作り出してしまっているボブ・サップの存在自体が、既に我々の認識の範疇を著しく逸脱しているのだ。

そして、何かいろんな気持ちがないまぜのまま、二人はコールされ、戦いが始まってしまう。ゴングが鳴ってみると、やはりというか、当然というか僕は、ミーハ−よろしくボブ・サップ選手を応援した。

そして、試合展開は落ち着く事無く、というか僕が一息つく間も無く、眼前にはあっけない幕切れが広がった。

ミルコのパンチが、サップの顔面にヒット。一見何てことも無いような気もしたが、サップは表情を崩し、その場にへたり込んでしまったのだ!

なんて事も無いパンチ一発で(その時はそう見えた。後にスローで確認するとクリーンヒットであることが判明)、その場に崩れ落ちるサップ。

その様子を例えるなら、並外れた腕力だけを武器に、わがままの限りを尽くすガキ大将が、隣の学校の格闘技を習う少年に一撃され、今まで見せなかったような幼さで泣き崩れるような様だった。「この子も、まだ子供なのね。」といった風情の。

そしてこれらの光景は、私をリアルファイトモードに呼び覚ますのに十分だった。

かつて私たちを熱狂させた“プロレスリング”は、筋書きのあるドラマだった。
そして現代、私たちを熱狂させる“プロ格闘技”というリングは、マルチエンディングなドラマである。

そこには筋書きは無いが、ドラマはある。
そして、そのリングに立つミルコやサップは、私たちを魅了する役者である。

ただし、そこにはいつも“リアル”という名の裂け目が存在する。

そして今回も、存在した。“サップ、眼底骨折”という“リアル”な裂け目が。
ほんのさっき、俳優の古尾谷雅人が自宅で死去、自殺か!?というニュースが飛び込んできた。

有名人の死、特に自殺というのは、いつもいつもショッキングである。一体、彼の心中に何があったのだろうか?

有名人の自殺は、いつも様々な憶測を呼ぶ。
岡田有希子の時も、伊丹十三の時も、DSE森下社長の時も・・・。

華やかな世界に身を置いていても、悩みというものは様々な形で人間に付きまとうのであろう。いや、華やかであるがゆえに付きまとう悩みというものも、かなりあるに違いない。

私自身を省みると、悩みなんてものは数え切れなくある。そそりたつ壁のように立ちふさがる悩みや底の見えない谷のように深い悩みもある。それらが常に打ち寄せる波のごとく私を襲う。

「はぁー、死にたいなー。俺なんか死んだほうがいいのかなぁー。」なんてことはしょっちゅう思う。しかし、ホントに「死んでやる!!!」とばかりに行動に移したことなど、一度も無い。

まだどっかにささやかな希望、夢みたいなものを持ってるのかもしれない。あるいは「どうせ俺の人生なんて、こんなもんさ・・・。」という一種のあきらめがあるのかもしれない。

夢や希望のおかげなのか、あきらめのおかげなのか分からないが、かなり“人生崖っぷち”にもかかわらず、本気で「死のう・・・」なんて考えることなく、今まで何とか生きてこれた。

きっと何か人間には“心のリズム”みたいなものが、あるんでしょうな。何らかの原因でその歯車が狂っちゃって、悩みの大小や種類に関係なく、人間を追い込んじゃう。

そういう意味では自殺で死ぬのも、病気で死ぬのもある意味一緒なんだと思います。重い病気を抱えてても、長く生きる人は生きるし、“一病息災”って言葉があるぐらいだし。

何かまとまった結論になってない気もするけど、僕は自殺も病死も等価だと思います。精神的な部分にも、きっと人間には抗えない何かがあるような気もします。

まあいずれにしても、俳優古尾谷雅人が亡くなったことは、悲しいことですが・・・。
ふとネットで日記を書いてみたくなった。
でも実はもう一つ、よそでネットの日記を書いている。

なぜ二つも日記を書こうというのか?
もう一つのほうは日記じゃないからだ。

日記じゃないなら、何なのだ?
日記じゃなくて“ネタ”なのだ!

もう一つのほうはかなり練りに練って書いている。
文字数が足らなくなって、すこしづつ削ったりしている。

そういう風にあらゆるボキャブラリーを駆使して文章を書いてると、ふと平易な言葉が懐かしくなる。

向こうは誰かに読まれることを前提に書いている。つまりはかなり他人を意識しまくってる。
こっちは、だれも読んでないことを前提に書いてる。むしろ他人より自分を意識しつつ・・・。

他の人の日記を読むと、ちょっと羨ましくなる。自分の日常を普通に書けている。日記なんだから当たり前か・・・。
俺にゃそういう芸当ができない。でもちょっとたまにはストレートを投げてみたくなった。

でも真っ直ぐってわけにはいかないんだろうな。バッターの手元でシュート回転して、それをスタンドに放り込まれるんだろうな。

でも、こそっと投げてみようと思う。だれも見てないことをいいことに・・・。

もうひとつの日記(っつーかネタ?)
ワシヅの道路に落ちてる軍手!
http://www3.diary.ne.jp/user/310417/



今日、PRIDE25を友達の家で観た。

数々の強豪をなぎ倒し、その強さを神格化されつつあったノゲイラ兄(アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ)が負けてしまった・・・。ヒョードルというロシア人に・・・。
確かにヒョードルは強い。でも地味だ。何の変哲も無いジャージが似合うほど。

桜庭も負けた。運の悪いバッティングで。もうここで綺麗に勝たないと桜庭の人気復活、神話復活は無いという試合なのに。

なんちゅう結果やねん。俺の誕生日なのに。
でも、思った。これがガチンコっつーもんだと。
現実は常に厳しい。真剣勝負は甘くない。

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